12/31



大晦日と言えば、紅白歌合戦。
今年、僕は泣きそうになる場面に遭遇しました。

初出場のRats & Starは大瀧詠一が作った、「夢で逢えたら」を披露しました。
この曲はCMでもお馴染みですし、沢山のカバーバージョンが出ているので
知っている人も多いと思います。

Ratsのパフォ−マンスの後半に差しかかった時、田代まさしが台詞のパートで
「テビューから16年、初めての紅白出場、この曲を全国のRatsファンと大瀧詠一さんに捧げます」
と言った時は、グッと来ましたね。

Ratsが、まだ"シャネルズ"と名乗ってアマチュア活動をしていた78年、
#大瀧さんは、"A Long Vacation"がヒットする前で、知る人ぞ知る存在だった時期

彼らが、大瀧詠一主宰、Niagaraレーベルの第1期最後の作品、
迷(名?)盤 "Let's ONDO Again"に参加したのが、交流のはじまりです。

その後(80年)、彼らは、「ランナウェイ」が大ヒット、人気者となった彼らは、
その年の暮れのコンサートに、「引退を考えていた」大滝さんをゲストに呼び、
彼を励まします。

そして、翌81年、大滝さんはアルバム"A Long Vacation"が大ヒット、
年末に、今度は大滝詠一の復活コンサートにRatsが参加したのです。

その後、楽曲提供・プロデュ−ス(「Tシャツに口紅」等)を通じ、親交を深め、
今回の復活に際しては、大瀧さんの名曲「夢で逢えたら」を取り上げ、
めでたくヒットとなり、紅白にも出場し、
デビュー前から交流の深い大瀧さんに恩返しをしたという感じが
僕はして、感激でした。

その他にも、トップバッターのウルフルズは大滝フォロワーですし、
前半のトリ、森進一が歌う前にも、司会の古館伊知郎から、
「70年代は吉田拓郎さん、80年代は大瀧詠一さん、
90年代はシャ乱Qの曲を取り上げる」
といったくだりで大瀧さんの名前が出るしで、
Niagaraマニアの僕にとって今年の紅白は興味深い内容でした。



註:大滝=「歌手」の時使用
  大瀧=「作家・プロデューサー」の時使用


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12/17

あ−、負けちゃったよ。
超ショック。

アジアカップ準々決勝で日本は
クウェ−トに2-0で敗れました。

最初の決定的なところでカズが入れてれば、
多分、行けたと思うんだけどな。あそこは入れて欲しかった。

失点に関しては、2点ともミス。1試合で2回もやったら、勝てないよ。
シリア戦でアジアカップ用の「運」を使いきったのかな。

後半のFW4人布陣の時、ゴール前のこぼれ玉に走り込む選手がいなかった。
横に全員ならんでたんじゃ、厚みが出ないよ。

今回の大会で調子よかったと思ったのは、高木と城の2人。
ブレ−キは前園。カズもいまいちだったかな。
コンディションが良ければgetできたろうにってのが多すぎた。

メンバ−構成に関して言えば、2列目の選手をもっと連れていくべきだった。
例えば、レイソルの酒井。

戦術的には、岡野を機能させるのは難しいという印象が残った。

福田がケガから復帰したら、カズ&高木(2トップ)&福田(2列目のやや右寄り)
という攻撃陣の並びを見てみたいな。
94年のアメリカ大会最終予選以来、3人が揃ったことはないからね。
これは試す価値あると思う。
良い感じだったら、森島と前園は控えに回ると。

東アジアの各国は苦戦ですね。
韓国は全然強くないし。



しばらくサッカ−話ばかり続いたので、
次回からはそれ以外の話題でいこうと思ってます。


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12/10

アジアカップ始まりましたね。サウジが好調のようです。

日本代表は初戦のシリア戦、本当に苦しい試合でした。
あそこまで出来が悪かったのは95年9月の対パラグアイ戦以来ですね。
ですが、勝てたのでひと安心。やっぱ、高木でしょ。

そして、9日のウズベキスタン戦。
この試合はいつもの調子で、快勝。
終了間際に、今大会動きの非常に悪い前園が2点を挙げたのは好材料ですね。

いつものようにzonoと本田を交代させるのではなく、
森島と交代させた、加茂監督の采配がズバリ的中。
采配がはまると、見てる方も愉快ですね。

ふーん、落合選手、ファイタ−ズ入りか。


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12/2

10月まで都立大にあったTokyo Performance Dollのペ−ジ(non-official)が、
11月に入ってアクセスできなくなったので、どうなってんのかなと思っていたんですが、
ありました
引越しをしたということみたいですね。

ところで、落合選手どうなるんでしょうね?
スワロ−ズも獲得に乗り出すみたいですが、大丈夫なのかな。

落合選手は、既に2,000本安打を達成しており、
「名球会」に入る資格があるにも関わらず、あえて参加していません。
「群れる」のが嫌いな落合選手らしいですね。

そのことに対し、野村監督はかなり厳しいことを言っていたんです。
今のプロ野球の興隆は、偉大な先人(=球史に名を残す活躍をした選手)がいたからこそで、
わざわざ辞退するのは、その先人達に対する敬意が足りないと。
そんな感じのことを言っていたように記憶しています。

まぁ、落合選手の「わがまま」に対する一種の嫌悪感の表明ですよね。

話はかわって、アジアカップでの日本代表の初戦は金曜です。TV中継もあるよ。


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11/27

26日に第17回トヨタカップが国立競技場で行なわれました。

欧州代表のユベントス(イタリア)が南米代表のリバ−プレ−ト(アルゼンチン)を破って、
世界一に輝きました。いやぁ、強かったですね。

僕はラモン・ディアスが南米チャンピオンの監督として
思い出の地、日本に凱旋するということに対して、思い入れがあったので、
リ−ベル(リバ−プレ−トの愛称)に是非トヨタ杯をとってもらいたいと思っていたので、
少し残念っす。

ディアスは、1979に日本で開催されたワ−ルドユ−ス選手権にマラド−ナらと
共にやってきて優勝、これが彼の輝かしいキャリアのスタ−トとなったわけです。
その後、アルゼンチン、イタリア、フランスでプレ−、また1982W杯にも出場しました。

そして1993年、この年スタ−トしたJリ−グで彼はプレ−をし、得点王となります。
翌々年、所属チ−ムの監督との確執もあり、日本でプレ−ヤ−としてのキャリアを終了させます。

アルゼンチンに帰国後、監督としてリ−ベルを10年ぶりの
南米チャンピオンに導き、今回の凱旋「帰国」となったわけです。



え−、話は変わりますが、お便りくださった方々、ありがとうございました。
まめに更新していきたいと思っていますのでよろしくお願いします。


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11/23

1〜7日おきに、と言いながら10日経ってしまいました。
「変わったかな?」と何回もアクセスしてくださった方、
申し訳なかったです。

#でも、そんな人いるのかな?
 いらしゃるようでしたら、是非お便りくださいね。

サッカ−日本代表はイタリア遠征に出発しました。
12/4からアラブ首長国連邦で開催される、アジアカップに備えるためです。

大会infoは、FIFA(国際サッカ−連盟)のペ−ジでどうぞ。
う−ん、日本の世界ランクが2つ下がって22位になってしまった。
これも、FIFAのトップペ−ジからいけます。


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11/14

英語でのトップペ−ジは11/13をもって終了しました。
変わりに、1〜7日おきに更新していく、このペ−ジを始めます。
皆さん、よろしくです。


トップペ−ジからのリンクが増えました。


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